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父 米寿の祝い

ファイル 2582-2.jpg 11月15日に行う予定であった米寿の宴が、その二日前に容態が急変し緊急入院となり延期してましたが、まずはホームへの退院、そして自宅への引っ越しを経て、今日無事に行う事が出来ました。一時は生死をさまよう危険な状態でもありましたが、奇跡の復活です。ほんとに強運に恵まれてるし、また周りの人達にも恵まれた父の徳と凄さを目の当たりにしました。 ファイル 2582-1.jpg ビールも数年ぶりに400cc飲んで、さぞ嬉しかった事と思います。酒は百薬の長とはこのことですね、めちゃくちゃ元気になってました。(笑) ファイル 2582-3.jpg この度の、電撃帰宅には、姉をはじめ前田家の皆様にはほんとにお世話になりました。ありがとうございます。 ファイル 2582-4.jpg 従妹のあきちゃん&ゆみちゃん ファイル 2582-5.jpg 親友のケンさんと。これからも皆様方にはご心配やお世話になりますが、何卒よろしくお願い申し上げます。

父帰宅

今日は、父を迎えに行った。コロナ禍も明けて施設の方も出られるようになったので、一週間に一日は家で過ごしてもらおうとしています。家が一番いいはずでしょうが、こちらに負担をかけないようにと、この1年半辛抱してくれて、一度も家に帰りたいと言わなかった父の我慢が凄いと思う。子供孝行してくれてる父に感謝しかありません。 ファイル 2559-1.jpg 家に帰ると、包丁を取り出しては、柿やリンゴを剝いて食べている(笑)   ノンアルコールビールを飲んで、渡り蟹や大好きなあられを食べて満足そうでした。お昼は刺身が食べたいと用意した。 ファイル 2559-2.jpg お風呂に入って施設に戻ったけれど、最高に気持ち良かったらしい。 送っていったまゆに話してたそう・・・刺身やカニも特に美味しかったと(笑)あんまり褒めたことがない父が珍しく嬉しさを口にするほど嬉しかったんやろうなあと、返すのが申し訳なく思う。来週は7日の月曜日に迎えに行く。

父帰宅

病院に行ったついでに、父が久しぶりに一時帰宅しました。介護施設の現場はまだまだコロナ禍継続中のために自由に外出することは出来ません。自由を制限されることの辛さも、こう数年間続くと耐えに耐え難い状況です。文句も言わない父ですが、こんなにも我慢強い人だったとは思いませんでしたし、えらいなあと感心しています。施設のありがたみに感謝しつつも、限りある命を、そして時間を自由に使わせてあげたいと願うばかりです。 ファイル 2523-1.jpg ひ孫と触れ合う父の顔は生き生きとしています。やっぱり赤ちゃんのパワーって凄いなあと思いました。 ファイル 2523-2.jpg 久しぶりの記念写真。親戚の方々が、父の事を心配して声をかけてくれますが、こんな感じで元気にしています。頭もボケてなくしっかりしています。今日も施設に送り届けた矢先に、しまった土産を買うのを忘れたと・・・(笑) 昔から旅行に行けば、めちゃくちゃ土産を買ってくる癖がありました。変わっていない! 家に来て、お店で昼ご飯を食べ終えたら、二階に行ってへそくりを探してくると・・・(笑) しっかりしてる!  思う存分に長生きをして、人生を全うしてもらえたらなあと願います。

誕生日会

みちるの修行先の”三玄”さんで誕生日会をしてもらいました。働いてまだ1か月半、慣れるまでは一苦労やと思う。私は、神戸の大学を卒業後、二年間ですが新宿歌舞伎町の料亭で働きました。ほんとに貴重な経験で、今の役に大いに立っています。みちるも料理人としての技術の学び、そして人との出会いなど、いろんな経験を積んで人生の引出しを沢山作ってもらえたらなぁと願います。 ファイル 2493-1.jpg ファイル 2493-2.jpg ファイル 2493-3.jpg ファイル 2493-4.jpg 美味しい食事、そして家族との楽しいひと時を過ごせたことを、三玄の皆様方に感謝致します。

母の桜

母がいつの間にか植えていた桜が大きく育っている。僕の誕生日は桜の咲く季節の12日だけれど、ほとんど桜は散ってしまう。でもこの山桜は僕の誕生日がちょうど見頃になります。ここまで考えていてくれたのかと、胸が熱くなった。母が亡くなり一年、残された家族のために全ての整理をしつくしていったけれど、まだまだ母の功績が出てきて、改めて母の偉大さに驚嘆するばかりです。 ファイル 2492-1.jpg 自分の部屋から桜を眺めては、喜んでいた母の姿を思い出しています。

母の命日

母の命日 2月23日はなんと天皇誕生日でした。とても光栄な日でありました。そして伊勢神宮では、天皇陛下の誕生日をお祝いする”天長祭”が執り行われました。この日の早朝5時から、内宮外宮の両宮と、11月に100周年を迎える倭姫宮、そして母のお墓参りに行って来ました。 ファイル 2473-1.jpg 数年前に、元天皇皇后両陛下が伊勢に来れれたときに、母とお迎えした時の写真です。病気などない健康な母でしたが、当時でも高齢であった母とはいつお別れが来てもおかしくないと覚悟はしていました。家業を繁栄させることが一番の親孝行と思っていましたし、同居ですし、毎日会話もしていました。それでも今思うと、もっと一緒にいれたらなあと思いをよせます。時がたつほどに、母の偉大さ、優しさが増すばかりです。思い起こすと、亡くなる数か月前から、今日はお肉が食べたい、寿司が食べたいと普段はそんな贅沢しなくていいという母から要望があって作っていました。いつも美味しい美味しいと喜んで食べていました。それが生前の母との最期の思い出で、思い浮かべると涙が溢れます。 ファイル 2473-2.jpg ファイル 2473-3.jpg ファイル 2473-4.jpg ファイル 2473-5.jpg

奇跡の再会

北海道行って来ましたー! ファイル 2472-1.jpg 雪まつりー ファイル 2472-2.jpg ジンギスカーン ファイル 2472-3.jpg ニセコの温泉に泊まっていて、たまたま35年前に居候でお世話になっていたペンションが近くにある事を思い出して訪ねてみた。ペンションはオーストラリアのオーナーに変わっていたが、元オーナーは近くに家を建てて住んでることを聞いた。 ファイル 2472-4.jpg 30年ぶりの奇跡の再会。父さん&母さん 生きててくれてありがとう^^ ファイル 2472-5.jpg 自宅の温泉に入れてもらった。熱くて最高! ファイル 2472-6.jpg ログハウスも凄く魅力的! 父さん母さんが作ったんだよー アンビリーバブル ファイル 2472-7.jpg 北海道の故郷にまた戻って来たい。

母 一年祭

昨日は、近親者で母の一年祭を行いました。お声をかけて頂いた方々、お供えをして頂いた皆様方に心から御礼申し上げます。 母は偉大で、私の一番の理解者でありました。あっという間の一年でしたが、何度も母に会いたいなあと思ったことがあります。こちらから話しかけてももちろん言葉は帰って来ませんが、なんかそばにいるような空気感に、心が癒され、また救われます。おそらく私が母と同じところに行く日まで、こうした日々を送っていくことでしょう。 どんな言葉をかけるのか・・・おはようにおやすみ。そしてありがとうがほとんどかな。 ファイル 2470-1.jpg

父がホームへ

今日、父がホームへ入った。母が2月末に亡くなり、3か月もたたないうちに父も急に弱ってしまった。自力で歩くことも不自由になり、トイレやお風呂も難しくなった。母は体調を崩してから皆で介護したけれど、1か月半で亡くなった。そんな短い期間だったけれど介護の大変さを身に染みて感じた。今の状況では皆で手分けしても介護する事は厳しいとの結論に至った。皆のために最善の方策として、より安心で安全なホームに移ることを父に提案した。有難かったことに、驚くほどすんなりと受け入れてくれた。ほんとに辛い選択だったけれど、父のためにも、身内にとってもこれが一番良かったと思う。理解をしてくれた父に皆が感謝した。寿命ある限り一日でも長く生きてほしいと願います。 ファイル 2405-1.jpg 昨夜は、皆でカラオケに行った。ほんとに楽しい家族のひと時を過ごせた。 ファイル 2405-2.jpg このスナックは父の心の拠り所だった。また皆で連れて行ってあげたい。 ファイル 2405-3.jpg ホームに行く前に、いつもの席で朝食を。前向きな感じで安心した。 ファイル 2405-4.jpg 南向きの角部屋で快適な場所である。 ファイル 2405-5.jpg ホテルのような正面玄関。 ファイル 2405-6.jpg 皆で励まして、寂しい思いをさせないように元気づけたいと思う。 じいちゃんも頑張るんやから、皆も精一杯に一日一日を生きていこう。

天国の母へ

最愛の母が亡くなり、明日に50日祭が行われて、納骨をします。 96歳と長生きをしてくれましたし、同居でしたし、生まれてからずっとそばにいたわけで、亡くなった感じまだしないんです。ほんとに偉大な母でした。世界一の母でした。多くの事を教わりました。母が私の母でよかったと心から感謝しています。私が天に上がる時に、また母と再会できる日を楽しみに精一杯生きます。最後の夜、これから母の横で寝ます。夢に出てきてくれるかなー・・・ 生前から何度も何度もありがとうを伝えたけれど、これからもありがとうを言い続ける。

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