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パラオ・グアム戦没者慰霊の旅レポート

去る事、14日より19日まで天聖大徳氏にお誘いを受け、慰霊の旅へと行ってまいりました。

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前日に伊勢神宮にて旅の安全と慰霊成就祈願を行いました。

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いざ、ビジネスクラスにてグアムを経由してパラオへ

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PPRに宿泊

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パラオのご来光

 

2日目、早速に今回の最大の目的である、第二次世界大戦時に太平洋地域の中で最も激戦地であったと言われるぺリリュー島にて戦没者慰霊の遺跡をたどるツアーに参加した。

 

ガイドの小泉さんはいつもお線香を持参していると言う、戦績ツアー キャリア10年のエキスパートでした。

 

私達が進めているパラオに桜の樹を植えるという計画にもご理解を頂き、現地にてサポートしてくれるという、力強い協力者になってくれる事となりました。

  

日本ではあらゆる手を尽くして現地とのパイプを探したのですが、何の足がかりも出来なかったのに、ほんと奇跡的な出会いでご縁を頂きまして感謝の気持ちでいっぱいです。

 

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共同墓地内にある戦没者慰霊碑

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皆で手を合わせました。  現地の方がお掃除をしていてくれるので凄く綺麗にされていました。  嬉しいことです。

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 第二次世界大戦戦争博物館 当時の建物をそのまま使っています。

 

日本軍 戦死者 10695名  アメリカ軍 戦死者 1794名 戦傷者 8010名以上 

また、現地一般人民は、日本軍が戦闘前に強制退避させたために死者・負傷者共に0であった。

 

戦闘経過は次のようでありました。

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海軍司令部跡

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800キロの爆弾が落ちました。

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南北滑走路

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オレンジビーチ  ここからアメリカ軍が上陸し、壮絶な戦いが繰り広げられました。  

流血により海一面が真っ赤に染まったそうです。

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一番高い丘。  アメリカ軍の何百隻もの軍艦に囲まれた時、どのような思いだったのか? 想像を絶します。

 

続く。。。。    倭 咲鳳

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