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ナローポルシェ
安倍氏暗殺
ほんとに信じられないことが起こってしまい、さらに最悪の結果となってしまいました。犯人の動機がどうのこうのだとか、選挙中に民主主義の根底を覆す冒とくだとか、政治テロだとかそんなんどうでもいい。なんで救えなかったのか。一発外れて二発目が命中なんて、警備はどうなっていたのか。日本最大派閥の長という事は、実際日本の首領でしょう・・・お飾りの総理大臣よりも上です。その重要な人を何故に、たった一人の殺し屋から守れなかったのか。ほんとに日本の警察・警備は平和ボケ。情けない。これは人災の何物でもない。安倍さんは日本の警察組織に殺された。警察は許されるものではありません。ロシアの侵略と中国の脅威が世界を震撼させている今日この頃、日本の首領である安倍さんをトップレベルで警備することは当たり前であるのに、それを怠った警察の失態は取り返しがつかない。この殺し屋はロシア、中国からの回し者かもしれない、いや多分その確率は高いと思う。安倍さんがいなくなり一番喜ぶ人が当事者になりうるから。海外での存在感も素晴らしかった。各国の首脳とツーショットになっても、その立ち位置は際立っていた。日本人の政治家で唯一の世界で通用する政治家だった。ほんとに悲しいし、残念。日本の今後が心配でならない。間違いなく国力が落ちる。安倍さんの死を無駄にしないように、残された政治家には頑張ってもらいたいの願う。安倍さんのご冥福を心からお祈りいたします。
石垣島
西表島のジャングルをサップで巡る。子供達は、バラス島でのシュノーケリングやキャニオリング(滝滑り)をして満喫した。
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大安吉日
6月1日
先輩へ
先日、大学の入学時の4回生であった、大好きな森本先輩から一通の手紙が届きました。長年勤めた某有名外車ディーラーを退職するとの事です。年賀状のやり取りしかない僕にまで、律儀に報告の一報をくれたことに、ほんとに嬉しかった。自営である僕には定年はありません、気力と体力さえあれば100歳までも続けられると思っていますし、それを目標に生きています・・・ ほんとにお疲れ様と心の中で思いましたし、また先輩の仕事ぶりはどんなだったのだろうかと空想しました。お客様との出会い、仕事の成果、成功や失敗、喜びや葛藤など色んな体験や経験があったと思います。僕とは大きく違う組織という世界の中での拘束は良くも悪くもあったのだろうなと考えたりしました。先輩はこれから何を求め、どう生きていくのだろうかと興味がわいてきたのです。それで、電話をしてみました。懐かしい!声は大学時のままです。(笑) 嬉しかった。大先輩であったけれどテニスは僕の方が上手だったので、後輩のようなところもありました。(笑) また兄のようでもあり、友達のようでもありましたが、体育会ではなくてサークルでしたので上下関係もフランクな感じでほんとに楽しく、仲良くしてもらえたことは、人生の財産となっています。お互いの仕事の事を中心に話しましたが、これからどうするのかはこれから考えるという事です。先輩らしいなと共感した^^やめるのを見越して次の行き場を探す人ではありません、最後まで全力を尽くす人なんだと、改めて先輩の人柄に惚れた。年齢で一線を引かれる社会だけれど、年齢にとらわれない人望を武器に、新たな世界で活躍をされることを願うばかりです。僕は、高校2年か3年時に、校門で自転車に乗ってる時に、”俺は60歳から本気で生きるで”と突然決意したことを鮮明に覚えています。60歳定年でみんな仕事を辞めさせられるけど、自分はそこから本気を出したると、天から降ってきたように思ったのです。僕は人とは思考が変わっていましたので、いわゆるアマノジャク的で常に人と違う事がしたい性格でした。そんな意味もない発想だったのかもしれませんが、今が55歳、その60歳に近づいてきましたが、今まさにそのように思える現実を迎えようとしています。今まで勢いだけで生きて来ましたが、これからはアクセルを踏み込もう、ペダルをこいでやろうと準備しています。先輩にも僕の今後を楽しみに見てもらえたいです。人間は与えられた天命を最後まで全うすることが最善だと思っています。そのために常にしっかりした気力を持ち続けねば戦えません。やる気があれば何でもできる!アントニオ猪木さんの名言ですが、まさにその通りだと思います。今日も実り多き一日となりますように・・・・
アリアガレージ
表札新調
パラオの友人と7年ぶりの再会
2015年の4月に、天皇皇后両陛下が戦後70周年の節目にパラオへ戦没者慰霊に行かれました。その後の6月に私もパラオとペリュリュー島へと慰霊に行きました。その時にガイドをしてもらったのがひろしさんです。慰霊碑や墓地を回り、その場所場所でお線香をあげてくださることに感動をしましたし、日頃からお掃除もしてくれているという話も聞いてほんとに素晴らしい方だなと尊敬をしていました。帰国後に一年に一度はお線香を送らせていただいて交流が続いていましたが、最近はコロナもありご無沙汰をしていました。これが神がかり的なんですが、共通の友人を通して今回伊勢に訪ねてれるきっかけになったのでした。久しぶりの再会に、涙が溢れました。これは、神様からのひろしさんの日頃の行いに対するお礼と感じましたし、戦没者の方々の感謝の気持ちも私の涙でひろしさんに伝えようとしました。ほんとに感動的な現象でした。
激戦地であった、ペリュリュー島の慰霊碑
この場所で天皇皇后両陛下が慰霊をされました。ほんとに美しい場所で、青い空に青い海です。しかし当時は血の海と化し、オレンジビーチと名付けられたのでした。このペリュリュー島での日本軍の玉砕の話は伝説となっています。ほんとに日本のために犠牲になられた多くの方々のお陰で、今の平和な日本があります。そして私たちが何の不安もなく幸せに暮らせているのも彼らの死をもって、今日があるという事を忘れてはなりません。
またいつの日かパラオへ行くと誓った。大切な友に会いに行く。