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大安吉日
6月1日
信州サーモン
信州サーモンを八坂さんから頂きました。もう5年ほど前からお店のためにわざわざ長野県から取り寄せてくれるんですが、先日のバイデン大統領来日時には晩餐会にこのサーモンが使われました。良い商品と思ってましたが、いつの間にか超メジャーになりました。
八坂さんは92歳。バイクを乗りこなし現役の新聞配達員をしているスーパーおじいちゃんです。毎月、朔日餅を届けてくれるし、銘菓やジュースを取り寄せてくれていつもプレゼントしてくれます。申し訳ないからもう十分と言っても、プレゼントが趣味だからと言ってききません。(笑) でも、僕が尊敬しているのは、働くことを続けていることです。また雇ってくれてる事業所さんも素晴らしいと尊敬します。働くことって、人生で一番素晴らしいことであると思ってるので、ほんとにこのお年まで働いていることにほんとにほんとに凄いと頭が下がります。八坂さんをお手本にして僕も100歳現役を目指して頑張ります!
先輩へ
先日、大学の入学時の4回生であった、大好きな森本先輩から一通の手紙が届きました。長年勤めた某有名外車ディーラーを退職するとの事です。年賀状のやり取りしかない僕にまで、律儀に報告の一報をくれたことに、ほんとに嬉しかった。自営である僕には定年はありません、気力と体力さえあれば100歳までも続けられると思っていますし、それを目標に生きています・・・ ほんとにお疲れ様と心の中で思いましたし、また先輩の仕事ぶりはどんなだったのだろうかと空想しました。お客様との出会い、仕事の成果、成功や失敗、喜びや葛藤など色んな体験や経験があったと思います。僕とは大きく違う組織という世界の中での拘束は良くも悪くもあったのだろうなと考えたりしました。先輩はこれから何を求め、どう生きていくのだろうかと興味がわいてきたのです。それで、電話をしてみました。懐かしい!声は大学時のままです。(笑) 嬉しかった。大先輩であったけれどテニスは僕の方が上手だったので、後輩のようなところもありました。(笑) また兄のようでもあり、友達のようでもありましたが、体育会ではなくてサークルでしたので上下関係もフランクな感じでほんとに楽しく、仲良くしてもらえたことは、人生の財産となっています。お互いの仕事の事を中心に話しましたが、これからどうするのかはこれから考えるという事です。先輩らしいなと共感した^^やめるのを見越して次の行き場を探す人ではありません、最後まで全力を尽くす人なんだと、改めて先輩の人柄に惚れた。年齢で一線を引かれる社会だけれど、年齢にとらわれない人望を武器に、新たな世界で活躍をされることを願うばかりです。僕は、高校2年か3年時に、校門で自転車に乗ってる時に、”俺は60歳から本気で生きるで”と突然決意したことを鮮明に覚えています。60歳定年でみんな仕事を辞めさせられるけど、自分はそこから本気を出したると、天から降ってきたように思ったのです。僕は人とは思考が変わっていましたので、いわゆるアマノジャク的で常に人と違う事がしたい性格でした。そんな意味もない発想だったのかもしれませんが、今が55歳、その60歳に近づいてきましたが、今まさにそのように思える現実を迎えようとしています。今まで勢いだけで生きて来ましたが、これからはアクセルを踏み込もう、ペダルをこいでやろうと準備しています。先輩にも僕の今後を楽しみに見てもらえたいです。人間は与えられた天命を最後まで全うすることが最善だと思っています。そのために常にしっかりした気力を持ち続けねば戦えません。やる気があれば何でもできる!アントニオ猪木さんの名言ですが、まさにその通りだと思います。今日も実り多き一日となりますように・・・・
アリアガレージ
表札新調
パラオの友人と7年ぶりの再会
2015年の4月に、天皇皇后両陛下が戦後70周年の節目にパラオへ戦没者慰霊に行かれました。その後の6月に私もパラオとペリュリュー島へと慰霊に行きました。その時にガイドをしてもらったのがひろしさんです。慰霊碑や墓地を回り、その場所場所でお線香をあげてくださることに感動をしましたし、日頃からお掃除もしてくれているという話も聞いてほんとに素晴らしい方だなと尊敬をしていました。帰国後に一年に一度はお線香を送らせていただいて交流が続いていましたが、最近はコロナもありご無沙汰をしていました。これが神がかり的なんですが、共通の友人を通して今回伊勢に訪ねてれるきっかけになったのでした。久しぶりの再会に、涙が溢れました。これは、神様からのひろしさんの日頃の行いに対するお礼と感じましたし、戦没者の方々の感謝の気持ちも私の涙でひろしさんに伝えようとしました。ほんとに感動的な現象でした。
激戦地であった、ペリュリュー島の慰霊碑
この場所で天皇皇后両陛下が慰霊をされました。ほんとに美しい場所で、青い空に青い海です。しかし当時は血の海と化し、オレンジビーチと名付けられたのでした。このペリュリュー島での日本軍の玉砕の話は伝説となっています。ほんとに日本のために犠牲になられた多くの方々のお陰で、今の平和な日本があります。そして私たちが何の不安もなく幸せに暮らせているのも彼らの死をもって、今日があるという事を忘れてはなりません。
またいつの日かパラオへ行くと誓った。大切な友に会いに行く。
父がホームへ
今日、父がホームへ入った。母が2月末に亡くなり、3か月もたたないうちに父も急に弱ってしまった。自力で歩くことも不自由になり、トイレやお風呂も難しくなった。母は体調を崩してから皆で介護したけれど、1か月半で亡くなった。そんな短い期間だったけれど介護の大変さを身に染みて感じた。今の状況では皆で手分けしても介護する事は厳しいとの結論に至った。皆のために最善の方策として、より安心で安全なホームに移ることを父に提案した。有難かったことに、驚くほどすんなりと受け入れてくれた。ほんとに辛い選択だったけれど、父のためにも、身内にとってもこれが一番良かったと思う。理解をしてくれた父に皆が感謝した。寿命ある限り一日でも長く生きてほしいと願います。
昨夜は、皆でカラオケに行った。ほんとに楽しい家族のひと時を過ごせた。
このスナックは父の心の拠り所だった。また皆で連れて行ってあげたい。
ホームに行く前に、いつもの席で朝食を。前向きな感じで安心した。
南向きの角部屋で快適な場所である。
ホテルのような正面玄関。
皆で励まして、寂しい思いをさせないように元気づけたいと思う。
じいちゃんも頑張るんやから、皆も精一杯に一日一日を生きていこう。